3月11日、東京は晴れ。

大きな地震という出来事でいうと数あれど、個人的に対照的に思い出してしまうのが、去年の東日本大震災と1995年の阪神・淡路大震災
1995年まだ当時は小学生でしたので、ただただ大きな地震で大きな街が大変なことになってしまったんだ、というショックのみだったこと、そしてそのとき自分が住んでいた町の人口と同じくらいの方々が一度の地震の影響で亡くなられた、ということにただ震えていたのを思い出します。
2011年の東日本大震災は、というとその日は東京のオフィスビルにて揺れを体験しまして。地震の起きた時間帯、というのもあるかも知れませんが、発生後から津波到来や火災の様子まで、テレビで生々しくも見れてしまい、ただただ動揺していたのを覚えています。携帯電話は早くも通話はできない状態でしたが、会社の固定回線はある程度使え、仕事上の話や当日の打ち合わせ予定等は連絡とれて今はまずはそれぞれの身の安全ですね、ということに。

当日は会社に泊まるという選択肢もあったのですが、地下鉄が夜に復旧したというのもあり何とか自分の部屋の無事も確認できたのですよね。テレビをつけて様子が知りたい、というのもあり落ち着きませんでしたが。
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住んでいた当時遊びに行ったことのある場所が津波で流される様を見たり、知り合いが住んでいることを知っている場所の近くで大きな火災が広がっているニュース等を見つつも、携帯はやはり通じないしで事実を遠くから突きつけられることの無力さみたいなものも感じたりもしました。また流れる映像も津波を映像として撮れた場所や、火災が今起きている場所だったりするのみで、たとえば住んでた仙台市街地は今どうなっているのか?とかまったくわからないもどかしさなども。

その後も東京の街自体も少しの間混乱もあった状況でしたので、徐々にですが、戻っていくのに何ができるかな、とぼんやり考え始めました。

KIZUNA NIPPONSDIM1062


さて、辛いことがあっても楽しいことがあっても、時間は変わらず過ぎていき、1年がたちました。そのときできることをやる、何ができるか考える、ただただ考えてしまっていた1年かも知れませんが、時間の流れととともに前に向いて歩きたいと思います。

桜餅

また春がやってきます。すべての人に穏やかな日々と元気を。