課題設定と試行錯誤

今年に入ってからは学位の審査などがありまして。そこで自分の研究の背景ですとか、目的などをより深く考えたり、人にうまく伝えるにはどうすればいいのか、というのをずっと考えてた期間だったんですよ(まだ終わりじゃないですが)。良さそうな結果が出ましたよ、と実験内容と結果だけを並べた実験報告書みたいなことをしようものなら、「おまえの研究が何の役に立つねん!!」となることうけあいです。

http://d.hatena.ne.jp/kenken31/20080205/p1
はてな
2008-02-07
2008-02-08

そんな中で上記のエントリーを読ませていただいて、ハッとしちゃいました。

工学部系とかだと、この技術面白いー!面白そう!という感じの取っ掛かりで興味を持って入ってきた人も多いかと思います。そしたらば、その興味を持った技術で、どんな素敵なことができるのか、というのを人*1にわかりやすく説明できるように常々考えておくべきなのでしょうね。そうすれば次は、「今ある技術でこんなに役にたっている、けどココが足りないですよね」という点を探しに行けばいい。かといって、みんな新しいことを探しているので、テーマがかぶるのはあってあたりまえのことです。しかし、アプローチのしかたなんて人それぞれになってくるので、そこでお互いに比べれば良し。テーマがかぶっただけでオリジナリティが無くなるわけではないので。

自分なりの、ここが面白い!というポイントを人に伝えていくよう心がけていきたいです。


さておき、上のエントリーであげられているように、どうやって自分で課題を立てさせるか、というのが悩ましいです。研究室の後輩もなかなか自分で新しい課題設定ができずにいるもので。。今までの「どこかにある正解を探す」という姿勢から、「自分で課題を設定して、あれこれ試し、納得いく答えを出す」という姿勢に転換させるか、の難しさですね。

こればかりはOJTじゃないですが、その場に身を置いて、とにかく考えてもらいながら、、、とやっていくしかないのかなぁ、、と悩むことばかりです。どうやったら背中を押してあげられるのか、導いてあげられるのか、とかとか。課題設定もともかく、どんなアプローチしたらいいと思う?というあたりからもどうも躓きやすいんですよね。。自分なりでいいので、もしかして・・・と想像してくれればいいのですが、なかなかそうもいかず。

「考える」という言葉を非常に安易に使っている人が多いと思う。学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。「じゃあ、悪い案を幾つか見せなさい」と言うと、きょとんとした顔で、「いえ、悪い案も思いついていません」と言う。「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。

http://blog.mf-davinci.com/mori_log/archives/2007/12/post_1581.php

こういった具合のことが多くてなかなか。。


・・・思ったことをつらつらと書いては見たのですが、話が全くまとまらなーい!!です。
ひとまず半端な文章だけどアウトプット。後で書き直したりすると思います。。

ところで、今日が論文の提出日だった訳ですが、下の部分を読んだときは序論書き直さなくっちゃ!と思いました。。

論文の前書きでは、「世の中には重要なことがたくさんあるはずなのに、自分がなぜこのトピックを選んだのか、なるべく感情的に書きなさい」と指導してみたのだが、そんな簡単には感情的になってくれない。

http://d.hatena.ne.jp/kenken31/20080205/p1

*1:よく例えに出されるのが、自分の親、とかじじばばに、とか