「新・都市論TOKYO」読んだ

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

新・都市論TOKYO (集英社新書 426B)

「なぜ景気が悪い時代に、東京ではバブル期以上の大規模再開発が出現するのですか?」(p.26)

自分が中学を卒業した頃に東京の親戚の家に遊びに行ったことがあって、まずは新幹線で東京駅にいったんですよ。ちなみにその頃は、東京は首都ってヤツだし、立派な完成した都市なんだろーなー、みたいに先入観を持っていたものと思います。何せ東京駅周りで大きく区画整理しつつ、新しいビルがにょきにょき伸びつつあるところを見て驚いた覚えがありますので。いまだ工事がんがんやってんだー!みたいな感じでした。


さておき、最近になって東京にきたのですが、密度が高いからといって全体が混じるわけでもなく、各駅周辺ごとに個性がありますねー。

この本ではここ近いうちに再開発されて注目もされているスポットを見つつ、「都市」とは何なのかを対談も交えて紹介されてます。各スポットに対して1つの章となっているのですが、その章のサブタイトルがよく各スポットのことをあらわされてます。

第一回・汐留 - 悲しい「白鳥の歌」が響き渡る二十一世紀の大再開発
第二回・丸の内 - 東京の超一等地に三菱の「余裕」がどこまで肉薄するか
第三回・六本木ヒルズ - 森稔の執念が結実した東京の蜃気楼
第四回・代官山 - 凶暴な熊にあらされる運命のユートピア
第五回・町田 - 「郊外」かと思っていたら「都市」だったという逆説
対話篇・そして北京へ

まずは最初の汐留の紹介にて、いきなり成熟後の大都市の再開発というものがいかに「リスク」のマネージメントのみに注力されてしまうか、という重い課題を吊り下げられていることが説かれてます。リスク分散のためにも寄り集まって作ってみたらば、個々の建物はすばらしいのだけれど、全体としてまとまりが無い、という点。ちょっと言葉を変えれば、個々の技術はすばらしいのだけれど、全体として出てくる商品に魅力が無い、と言われてしまうようなメーカーでもまんま当てはまりそうな構図じゃないですか!と思ってしまったり。再開発での都市計画の不在に対して、商品開発でのビジョンの不在、みたいな。

お話の展開として2〜4章は、さて分散して寄り集まったらこんな感じで課題が残りますよー。という1章に対し、丸の内だと三菱地所六本木ヒルズは森ビル、代官山での朝倉不動産、というリーダーが存在した場合に出来上がった都市の対比となっています。代官山の紹介では他の開発と比較しての特殊性を強調しつつ、その地に根ざした文化が重要だよね、てのがちらほら話しに登ってきます。「東横線という私鉄カルチャー」という表現とか。



盛り上がってるなーと感じたのは町田の章。
その地に根ざした歴史・文化が重要だよね、てな雰囲気を醸した後に紹介される、郊外。そもそも郊外とは何ぞや、という点については「ヴァーチャル」な街である、と表現されています。いろいろ土地に染み付いた文化も何も、すべて無視して「夢」を作り上げたのが郊外。本来の土地の歴史である「リアル」に対しての断絶こそが郊外、とのこと。なお、都市計画として「夢」を作り上げていくというのは何も近代に限った話ではなく、ギリシャ時代から続く「ユートピア」こそがそれだとか。ただし、20世紀になってからの飛躍というのは以下の文章で表されています。

もし二十世紀ならではの発明があったとすれば、「夢」を鉄道という「線」によって束ね、つなぐ技を発見したことがそれだ。地図の上に描かれた鉄道という「線」に沿って一つの「夢物語」を構築し、そのストーリーに添って一つ一つ「夢」を配置していく。(p.169)

この辺りを読んで、『鉄道地図を読むのは面白い』という方の、読むのは面白い、といった点の意図が少し見えてきました。

また、その「線」たる鉄道についても「リアル」なJRと「ヴァーチャル」な私鉄、という切り分け方をされている点にとても興味を惹かれました。研究室のジョシュさんは、鉄道が好きな人だったのですが、電車そのものとか、単体が好きではなく、街を線でつないでいるネットワークが面白い、と懇々と語ってくれる方だったので、今度あったときにはこのネタを是非ぶつけてみたいです。

んで、町田の何が面白いのかというと、この「リアル」と「ヴァーチャル」がぶつかり合っているところ、というのがポイントみたいです。「リアル」なJRと「ヴァーチャル」な私鉄の交差する街。地図をみるとそういったところはいくつかありそうなんですけども・・・。週末は一つの街の中を散歩するんじゃなくて、電車で移動して比べてみるのも楽しそうですね。